私とカウンセリング 122

私とカウンセリング by 国重浩一

 

今、本を書いています。「震災被災地で心理援助職に何ができるのか?―カウンセラーに問われる姿勢(仮題)」というもので、被災場所でカウンセリングというものに対して、いろいろと考えさせられたものをまとめたものです。

カウンセリングは、相手のことをまずは理解することから始まると言っても過言ではないでしょう。ところが、相手を理解することすら難しいと感じたのです。それは、相手の言葉が難しいわけでもなく、込み入った状況を伝えようとしているわけでもないはずなのに、相手がその言葉で伝えようとしているニュアンスを、私がくみ取れないないと感じることが多々ありました。たとえば、「家を流されました」と相手が言うとき、私たちはそのときの相手の気持ちを理解しなければなりません。ところが、私が想像できるものと、相手が伝えようしているものに、大きなギャップがあると感じたのです。これはどうしてなのだろうかと、考える必要があったのです。

私たちは、相手の言葉の意味を分かったつもりになりすぎているのではないかという反省につなげるべきであると痛感したのでした。このことを、いろいろと考察していったら、一冊分の文章となりました。世に出るのは来年頃になるとは思いますが、書かずにはいられなかったものです。

 

Kesennuma 1